ネットで見つけた記事。
一美容師としてとても響きました。
致知2012年11月号致知随想より
米倉満さん(理容「米倉」社長)
私の祖父・米倉近が弱冠二十二歳で
理容「米倉」を開業したのは大正七年のことでした。
後に近の義父となる後藤米吉は、
当時西洋理髪の本場といわれた英国で理容技術を習得し、
「三笠館」という理髪店を開業した人物でした。
その義父と同じ理容の道を志し、日本橋に店を構える
「篠原理髪店」に祖父が弟子入りしたのは、年の頃十三歳。
両親と別れての暮らしはさぞ寂しかったことでしょう。
しかし、一人前になるまで家には戻らないと修業に専念し、
二十一歳になるまでの八年間一度も
親と顔を合わせることはありませんでした。
独立開業する際には、修業中に祖父の腕を見込んだ
名士たちの後押しもあって、
築地の精養軒ホテルの一角という一等地で開業。
関東大震災で店が焼失したことで、
銀座の中央通に移りましたが、
「米倉」は一流のお客様を相手にして、
満足させる銀座の床屋だという矜持が祖父の力の源でした。
実際、店には日本画家の伊東深水氏、作曲家の山田耕筰(こうさく)氏や、
陶芸家の川喜田半泥子(かわきた・はんでいし)氏をはじめ、
個性溢れる一流のお客様が顔を連ねる理容店として賑わい、
今日に至るまで多くの名士の方に親しまれてきました。
その中には松下電器(現パナソニック)の
創業者・松下幸之助氏もいらっしゃいましたが、
かつて松下氏はほとんど容貌を気にされず、
頭髪もぞんざいだったそうです。
ある時、そんな松下氏と初めてお会いする機会があった祖父は、
即座に
「あなたはあなたの顔を粗末にしているが
これは商品を汚くしているのと同じだ。
会社を代表するあなたがこんなことでは会社の商品も売れません。
散髪のためだけに時間をつくるというような心掛けがなければ、
とても大を成さない」
と言い放ったといいますから大したものです。
もちろん祖父の言葉に悪意は微塵もなく、
むしろ自らの仕事に対する誇りから生まれたものといえるでしょう。
仕事に打ち込む中でお客様を満足させたいという
姿勢を貫いてきたからこそ、経営の神様に対しても
思いの丈をぶつけることができたのだと思います。
「誠にもっとも千万で、至言なるかな」
と口にした松下氏は、祖父の言葉に意気を感じられたのでしょう。
祖父との出会いを機に身だしなみにも気を使われるようになり、
「米倉」をご贔屓くださるようになったのです。
私が理容師としてまだ駆け出しの頃、
祖父の鞄持ちとして熊本県の阿蘇まで赴いたことがありました。
現地では松下電器の代理店を集めた年に一度の大会が開催されており、
祖父はそこに招かれたのでした。
宿泊先でのことです。
二人きりになった晩、祖父は堰を切ったように
自らの歩みを語り始めました。
既に晩年を迎えていた祖父は、
特別に私に伝えたいという思いがあったのでしょう。
その中にはこんな話がありました。
祖父の母は大変信仰心の厚い方で、
「おまえの守り本尊は観音様であるから、
毎月十八日はお参りに行きなさい」
と言われた祖父は母の言いつけをよく守っていました。
ところがある月の十八日の朝、祖父は寝坊をしてしまい、
慌ててお参りを済ませるも開店時間に間に合わないことがありました。
ちょうどその時分に店を訪れた松竹の大谷竹次郎氏は
祖父の不在を知り、後日改めて来店された際、
開口一番こう聞かれました。
「君は何か自信をなくしたことでもあるのか」と。
祖父が驚いて聞き直すと、大谷氏は
観音様にお参りに行くことそれ自体はよいが、
開店中に主人が留守とはどういうことか。
お客様に不自由をさせて、ご利益などあるだろうかと懇々と諭され、
最後に
「客商売は、客が店の信者なのだ」
とおっしゃったそうです。
祖父は我が身を恥じたといいます。
お客様を差し置いて観音様をいくら拝んでも、
ご利益などあろうものかと。そして理容業という生業に打ち込むことが、
そのまま信仰になりうるのだという確信を得たのでした。
業即信仰。
祖父はこの時の教訓をこの四文字に込めたのです。
このことに関連して、世の中にある無数の業には、
それ自体に良し悪しがあるわけではなく、
その業を行う者の人格のいかんによって良し悪しが決まる。
それゆえに理容師は、理容の技術を磨き高めることはもちろん、
教養を身につけ、お客様と誠実に相対する中で、
理容師的人格を高めることの大切さも訓えられました。
また祖父は、日頃から
「毎日が開業日」
と口癖のように言っていたことを思い出します。
店というのは古くなると惰性に流れだらしなくなるから、
毎日が開業日のように新鮮な気持ちで場を清めれば、
自然と仕事に励む気分が湧き上がってくるというのです。
理容「米倉」は四年前に創業九十周年を迎え、
その間祖父の業に対する信仰心の如き思いは
父、叔父を経て四代目である私へと受け継がれてきました。
業を高めることが、そのまま自己を高めることになる――。
これが理容師として、四十年間歩み続けてきた私の実感です。
業即信仰という祖父の祈るような仕事に対する姿勢を胸に、
理容師として生涯を全うできるよう
これからも一途に歩み続けたいと思います。
「業を高める事が自己を高めること」
自分が一生の仕事と選んだ職業
仕事に誇りを持ち続けて
これからもやっていきたいと思いました。
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